2011年06月05日
フォトリーディングは狩猟文化、熟読は農耕民族の文化
アメリカで我が国よりもフォトリーディングが進化したわけは何なのであろうか?
両国のビジネスマンたちは、似たような職烈を極めるスケジュールのなかに身を置いているというのに・・・。
例えて言えば、狩猟民族と農耕民族の違いと言ったら良いかもしれない。
毎日何十冊、何百冊と出版される本をフォトリーディングは出来うるかぎり広くカバーし、また自分独自に最も大切な情報を入手できる読書術だと言われます。
また、本のなかから最も大切な情報を、的確に見いだす技能、それがフォトリーディングなのです。
小さな鹿の後を、広大な草原で追いながら、逃げ去ろうとする草食動物のなかから、狙った獲物を速やかに狙い撃ちする狩猟(ハンティング)のようなものです。
これに対して、じっくりと一冊の本を熟読(じゅくどく)するのが好きな我が国は、農耕民族的な性格だと言えるでしょう。
自分独自の心という畑を荒れ野から耕作して、肥えた土地にして、知恵や知識という種をまいて、それを育てるようなものです。
書物というメディアを介して作者と対話し、知識を吸収して自分独自の思考構築やメソッドを練り上げて育て上げていきます。
ただ、このような読書好きの我が国の人間が、年々減少するのは悲しいことではあります。
元来我が国の書物では、このような熟読(じゅくどく)型の読書法が大きい役割りを果たすものでありました。
じっくりと、書かれている内容の意味するところを味わい、ときには作者と会話しながら読んでいくのです。
自分自身が肝心だと思う部分にはアンダーラインを引いたりなどしていくと、もっと深く作者の言いたいことが染みこんでくる。
欄外に自分独自の印象や、かんたんなメモなども書きこんでもみる。
そんな方法を好きな我が国では現代でも多くの人が行っています。
私は、こんな農耕型の熟読(じゅくどく)を、決して否定している訳ではない。
逆に、自分独自の一生の根本となりそうな主要な本は、絶対に時間をとってゆっくり熟読(じゅくどく)、精読していくことが望ましいのだと思います。
これによって、人は何が肝要か、どのようなねらいをもって進んでいけばいいか、達成感のある一生を送るにはどうしたらいいかを知ることができ、パワフルな確固たる生活を歩むことが出来るのではないでしょうか?
Posted by sokudoku230520 at 20:16│Comments(0)